mir821’s diary~露語&ランニング〜

25年ぶりにロシア語を再勉強中。たまにモンゴル語&ランニング。

映画「ひまわり」のロケ地~Youtubeの動画の断片からたどってみた~

映画「ひまわり」。

ロシア語学科の学生だったから、私もずいぶん昔にみた。たぶん、池袋かどこかの名画座みたいなとこで。

ただ、自分にとっては映画よりも、あの哀愁を帯びたテーマソングのほうが記憶に残っていた。

この曲、クラシックギターの初級レベルとしてはとても簡単に弾ける。大学からクラシックギターを始めた初心者の自分にはぴったりの曲だった。

部内の発表会かなにかで弾いたような記憶がある。

 

この映画「ひまわり」、今回のロシアのウクライナ侵攻をきっかけに日本各地で上映されている。

かの地の戦禍に想いを馳せ、反戦の象徴的存在として「ウクライナで撮影された映画」と認識されているみたいだ。

しかし、現在のウクライナ国内での撮影シーンは、実はそれほど多くはない。

 

ロシア語版ウィキペデアの「映画の撮影」の項目には、各シーンの「ロケ地」についての紹介がある。

簡訳してみると、広大なひまわり畑や無数の墓地のシーンはおそらくウクライナがロケ地だが、そのほかのシーンの多くはロシアで撮影されている。

 

【訳】

①映画の撮影はソ連国内、とくにウクライナソビエト社会主義共和国ポルタヴァ州チェルネチー・ヤール村で行われた。

②主人公のソフィア・ローレンがロシアの村で自分の婚約者の行方を尋ねるシーンはザハルコヴォ(注:モスクワ州)で撮影された。

スターリングラード近郊でイタリア人が撤退するシーンは、(注:ロシアの)カリーニン州コノコヴォ地区ゴロドニャ村近くのボルガ川の氷の上で撮影された。

③(モスクワの撮影の)カットでは、地下鉄駅「レーニン丘」、グム(注:国営百貨店)、トロパリョーヴォの大天使ミハイルを見ることができる。

その後(1975)、この教会は、有名な映画「運命の皮肉、あるいはいい湯を」で現れる。

ロシアの村のシーンはコローメンスコエ(注:モスクワ近郊)で撮影された。

ジョアンナが家から出て鉄道駅に向かうシーンはカナトチコヴォ通路で行われた。ジョアンナが列車に乗り込むシーンは(注:モスクワ近郊の)カナトチコヴォ駅だ。

ジョアンナにイタリア人(注:アントニオ)の家を教えるシーンは、当時まだコルホーズ「巨大な菜園」の家屋が保存されていた民族博物館コローメンスコエで撮影された。

ジョアンナはスパスカヤ門を通り抜け家へ向かうが、その後すぐにそこをアントニオが入れ替えに戻ってくる。

 

【原文】

 

 

以上のように、ほぼ大半がロシア、モスクワ、またはモスクワ近郊での撮影。

では、上の説明のシーンはどんな風に撮影されているのだろうか?

Youtubeで拾ってきた断片でみていこう。

まず有名な冒頭のひまわり畑のシーン。

ソフィア・ローレンマルチェロ・マストロヤンニ、リュドミラ・サベーリエワの名前の背景に広々としたひまわり畑が広がる。

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ウクライナ日本大使館の公式HPには「キエフから南に約500㎞ほど行ったへルソン州と言われている」との記述がある。

そのためへルソン州がひまわり畑のロケ地だというのが定説になっているが、最近、NHKの報道でへルソン州ではなくポルタヴァ州チェルニチー・ヤール村ということが確認されている。

ただ、ウィキペデアでは「『特に』ポルタヴァ州で撮影された」との記述があるだけで具体的にどのシーンがどの場所なのかはわからない。

 

この動画は、途中でソフィア・ローレン扮するジョバンナがサッカー場でアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)を探すシーンとなる。

スタジアムはモスクワのルジニキ。対戦しているのは「スパルタク」と「ジナモ(トビリシ)」で1969年の試合だそうだ。

実際の試合中に映画の撮影もしたんだろうか? そのあたりのことはわからない。

試合が終わって、出口でイタリア人らしい男がいなかチェックするジョバンナ。

いかにもイタリア人らしき男性をみつけ追いかけて話しかけた地下鉄駅は「レーニンスキエ・ゴールイ」(レーニン丘)。

 

次の動画は、酷寒の雪原をイタリア軍が敗走するシーン。

ここはウィキペデアの③、「スターリングラード近郊でイタリア人が撤退するシーンは、カリーニン州コノコヴォ地区ゴロドニャ村近くのボルガ川の氷の上で撮影された」っていう説明のところ。

スターリングラードは現在のボルゴグラードだ。

第二次世界大戦におけるスターリングラード攻防戦で有名な場所で、イタリアは戦死・戦傷・捕虜含め11万4000人の損害を被っている。

次はジョアンナがアントニオの写真を地元のおばあさんにみせて探すシーン。

これはウィキペデアの説明の⑤のところ。

→⑤ジョバンナにイタリア人(注:アントニオ)の家を教えるシーンは、当時まだコルホーズ「巨大な菜園」の家屋が保存されていた民族博物館コローメンスコエで撮影された。ジョアンナはスパスカヤ門を通り抜け家へ向かうが、その後すぐにそこをアントニオが入れ替えに戻ってくる。

 

ローメンスコエはモスクワの南にある野外文化博物館。

 

イタリア人が住んでいると教わり、家まで案内してもらうジョバンナ。そこにはロシア人女性と小さな少女が住んでいた。少女はジョバンナに「ボンジョルノ」とイタリア語であいさつ。

家に通されたジョバンナは部屋をみてアントニオが幸せな暮らしを築いていることを知って愕然とする。

動画の後半はモスクワへ引っ越すアントニオ一家のシーン。

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次の動画。

ジョバンナにイタリア語でアントニオが負傷したときの様子を必死で説明するマーシャ。

ふと時計をみる。アントニオが仕事から帰ってくる時間だ。

ジョバンナをうながして駅に一緒に向かう。

この撮影場所は、ウィキペデアの説明の④。

→④ジョアンナが家から出て鉄道駅に向かうシーンはカナトチコヴォ通路で行われた。ジョアンナが列車に乗り込むシーンはカナトチコヴォ駅だ。

これもモスクワ近郊の駅。駅の向こうにみえる原発みたいな大きな建物は、第20火力発電所だ。

www.youtu

最後の断片動画は映画「ひまわり」の予告編的編集。

ロシアのトヴェリ州の地方紙が製作した動画で、イタリア軍撤退のシーンは地元のゴロドニャ村で撮影され、地元住民が多数集められたとのナレーションがある。

それによると、アントニオ役のマルチェロ・マストロヤンニはすでに有名な俳優だったにもかかわらず代役を使わず演技していた、という。

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以上、「ひまわり」のYoutubeの動画の断片をたどって、ロケ地を空想で訪ねてみた。

Google mapに地名を入力すれば、現在の様子をスマホで確認することもできる。

すごい世界になったものだ。