mir821’s diary~露語学習帳〜

ロシア語を再勉強中。たまにランニング。

回想録・第28回萩往還マラニック(140㎞)完踏記①~遅れてきた体育系中高年ランナー~


JN日記からの転載シリーズ。

2016.5.3~4日の「第28回山口100萩往還マラニック大会」。

その2年後の第30回を区切りに終了した大会。
メインの250㎞に参加するためには140㎞にエントリーしていないといけなかった(必ずしも完踏は求められていなかった)。

この年はまだクリック合戦といった状況にはなく、140㎞はけっこう後までエントリーできたような記憶がある。


萩往還マラニック(140㎞)完踏記①】 
「ああ おまえはなにをして来たのだと  吹き来る風が私に云う」(「帰郷」/ 中原中也) 

瑠璃光寺五重塔をみるのは30年ぶりだった。 

山口は故郷じゃないが、はるか昔、甘く切ない青春の1ページを刻んだ土地だ。

遠距離恋愛。22~4歳ぐらいだったかな。
年に何回か、JR(当時は国鉄)の青春18切符でやってきては、当時大学生だった彼女のアパートに転がり込み、ぶらぶらと数週間を過ごしていた。 

典型的な田舎文学青年だった私の愛読書の中には、湯田温泉出身の中原中也の詩集があった。 
冒頭の一節は、その後の人生の節目節目で、たびたび脳裏をかすめ、そのたびに深いため息を誘発していたフレーズだ。 

だが、ここ数年、ランニングを始めてからは体育会系中高年に変貌したこともあって、詩集の類とはすっかり疎遠になってしまった。

気分がめいると外に走り出す。
ロードだけでなく山も走る。
滝汗をかく。食事も酒もとても美味しい。
布団に入ると数分もしないうちに熟睡できる。文学書よりは筋トレ系雑誌が気になる。 

いろいろな悩みはあるにはあるが、内省的な憂いを感じることはほとんどなくなった。

5月3日、「萩往還マラニック」に参加するため、30年ぶりにやってきた山口で私を出迎えてくれたのはセンチメンタルな微風ではなく、激しい突風と横殴りの雨だった。 

ランニングをしていなかったら、きっと大きすぎるため息をついて憂鬱になっていたに違いない。

でも、立派な?体育会系中高年になった私は、「やったね! このまま暴風雨が続かないかな」って、ちょっと高揚した気分だった。
荒れ狂う夜の萩往還を走ることを想像すると、とてもわくわくした。

30年の歳月は人を変えるに十分すぎる時間だった。

 <Start~CP1英雲荘(29.3㎞)> Start 18:08  英雲荘(スプリット/通過時刻) 2:42/20:50 

残念ながら、暴風雨は140㎞のスタートまでにどこかに行ってしまった。

雨はほとんど止み、風もなかった。レインウエアはいらなかった。
Tシャツ、短パンで十分だった。

約500人が参加。
スタートは50人ずつのウェーブスタートだった。
私は第4ウェーブ。
約2分ごとに「エイエイオーッ!」の掛け声とともに香山公園をスタートした。

まずは、防府までのロードの折り返しコース。約50㎞ある。

山口駅前を通過し、跨線橋を渡って、河川敷を走る。 
まだ、明るい。 マラニックなので交通ルールを守り、歩道を一列で走るのが基本。
でも、ペースはそれぞれなので、追い抜けるとこでは先に行かせてもらった。

順位も表彰もしない大会だけど、一応、自分なりの目標タイムは決めていた。
16時間以内でのゴール。 
あれこれと140㎞のペースを考えると、私の場合、「100㎞ウルトラのペース+1分」ってとこが「チャレンジラン」のペースだと予想した。 

たとえば、2015村岡ダブルフルが8時間59分で5’23/km、2013児島ウルトラ(111㎞)が11時間35分(6’13/km)、それに+1分すると、って感じ。 
そうすると、15時間(6’25/km)~18時間(7’35/km)となる。

あわいち(淡路島1周練習会)の感覚と照らし合わせても、それほど大きな齟齬はないような気がした。 

山口~防府は、途中に峠越えがあるが、ほぼ平坦なロード。 

だいたい4’40/kmぐらいのペースを心掛けた。でも、信号待ちや集団走で思い通りにはいかない。
河川敷コースを終わるまでには第1~3ウェーブの集団を追い越した。 抜かれたランナーはいなかった。 

ただ、新鰐石橋を降り、数百m走ったあたりで、去年1位だったK本さんに追い抜かれた。
ボトルホルダーだけの軽装。シューズはターサー。 軽快な走りだった。

1㎞ほどついて行ったが、ちょっとペースが違う。 おそらく、4’15~30/kmぐらいかな。
追走するのはあきらめて自分のペースで走ることにした。 
信号待ちが避けられない市内で、そこそこのペースを維持するにはインターバル的な走り方が必要みたいだ。

中国自動車道高架下あたりで4~5人のランナーが立ち止まっていた。
みんな萩は初めてらしい。この道でいいのか迷っていた。 
私も不安。
しばし、集団走させてもらうことにした。

でも、ペースが遅い。5’40~50/km。
追い越したかったけど、まあ序盤だからと我慢した。
そのうち、後ろから1人のランナーが追い付いて、集団を追い越して行ったので、私も追走。
英雲荘までは、このランナーと2人で走った。

2015年の四万十ウルトラでサブ9だった広島のA部さん。
登り坂が早かった。坂は大好きなんだそうだ。

食事ができる鯖山・たそがれ庵は往路はスルー。復路で補給することにした。
分かりにくいと言われていた佐波地下道では地元のボーイスカウトの子どもたちが誘導してくれていた。

大会はいろんな人たちで支えられている。

防府ラソンのコースをちょっとだけ走って、CP1の英雲荘の到着は、スントによると、3日午後8時50分。
ここは記帳ポイントになっている。係りの人に記帳してもらうと4位だった。
ペース的には遅いけど、順位はそこそこなんだなって思った。


 <英雲荘(29.3㎞)~山口市福祉センター(49.6㎞)> 
英雲荘から鯖山峠の登り口まではA部さんと並走。

だが、登りになると、A部さんのペースが一気にあがる。
「おさきですっ!」って声をかけて抜いて行った。
もう一人のランナーにも追い抜かれた。

私も歩いているわけではなかった。 登りは強いほうかなって思ってたけど、実際はそれほどでもないみたい。
たそがれ庵で食事。うどんとおにぎりをいただいた。

A部さんとテーブルに座って食べていると小雨。冷たい雨だ。
Tシャツだけだったので身体が冷える。
うどんとおにぎりを急いでかき込み、先に出発させてもらった。

3~4㎞ほど走ったあたりでA部さんに追い抜かれる。
フォームがきれい。いいペースだ。
その姿も見えなくなり一人旅。
後にもヘッドライトの光はみえない。

新鰐石橋を渡って「新山口駅入口」(47.9㎞)というポイントで「事件」は起こった。

本来、ここは右折すべきところ。
ところが、前後にランナーがおらず、たんたんと、いや、ぼーっと走っていた私はここを直進してしまった。

数百メートルぐらい走ったところに地下道があった。

「往路にはなかったよな?」なんて考えていたのに、くぐって横断。
思考能力が低下していたのか?

さらに先に進んで、やっとコースアウトしたことに気付いた。
引き返して、同じ地下道をくぐる。
この地下道、階段で方向が変わり、内部も十字路みたいになっている迷いやすいタイプ。 単純に引き返すだけでよかったのに、こともあろうに、方向を間違えて別の出口にでてしまった。 すでに真っ暗なので別の出口にでたこともわからなかった。

そして、さらにもう一度、同じ間違い・・・。
あほですな。 で、どっちから来たのかわからなくなった。

 「ここはどこ? 私は誰?」状態で真夜中の山口市内を彷徨うはめになった。
午後11時。道を聞こうにも誰もいない。

携帯していたコースマップをみても縮刷が小さく読みづらい。 こんなとき、スマホGPSアプリがあれば、すぐに現在地が把握できたはずだけど、残念ながらガラケー
老眼を酷使して必死で地図を読んだ。 次からは老眼鏡もマイ必携品にしようと誓った。

約40分後、なんとか山口駅にたどりつき、深夜の彷徨は終わった。

 「山口駅入口」(47.9㎞)~「山口駅前」(48.5㎞)はわずか0.6㎞の距離だけど、コースアウトで4.6㎞ほどうろうろしていたことになる。 ロスタイムは約35分だった。

復路の「山口駅入口」。
ここはとても間違えやすいポイントのようだ。
JNの今年の参加者の1人もここで間違えていた。
「児島ウルトラ」の練習会で知りあったhikaさんも昨年同じくここでコースアウトした。

CP2の「山口市福祉センター」には、3日午後11時38分に到着した(outは11時52分) 。

大会マップには、目標完踏タイムごとに各ポイントの通過時刻が記載されている。
たとえば、18時間が完踏タイムだと、「山口市福祉センター」の通過時刻は午後11時20分といった具合に。
まだ、取り返せるくらいのタイムだった。

塩加減が濃い目の味噌汁とおにぎりをいただき、デポしていた食料を詰め込み、ハンドボトル2本にスポーツドリンクを補充した。

ここからが萩往還140㎞の本番。
しっかりした気持ちでスタートすべきだったが、コースアウトで気落ちした私は「のんびりと完踏でいいや」って、ファンランモードになっていた(つづく)。